東京地方裁判所 昭和39年(行ウ)85号 判決 1969年4月18日
原告
チュア・スイ・リン
代理人
金野繁
ほか四名
被告
文部大臣
坂田道太
被告
国
代表者法務大臣
西郷吉之助
指定代理人
小林定人
ほか三名
主文
被告文部大臣が原告に対して昭和三九年九月四日付三九調留第五号をもつてした国費外国人留学生の身分打切りの処分を取消す。
訴訟費用は同被告の負担とする。
事実
第一 当事者の求める裁判
一 原告
1 (被告文部大臣に対する請求の趣旨)
被告が原告に対して昭和三九年九月四日付三九調留第五号をもつてした国費外国人留学生の身分打切りの処分を取消す。
訴訟費用は被告の負担とする。
2 (被告国に対する請求の趣旨)
かりに右1の請求が理由がないときは、原告と被告国との間において、原告が国費外国人留学生制度実施要項に基づく昭和三七年度国費留学生たる地位を有することを確認する。
訴訟費用は被告の負担とする。
二 被告文部大臣
1 (本案前の申立)
本件訴を却下する。
訴訟費用は原告の負担とする。
2 (請求の趣旨に対する答弁)
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
三 被告国
原告の請求を棄却する。
第二 原告の主張
甲(被告文部大臣に対する主張)
一 請求原因
(一) 原告は、被告により、国費外国人留学生制度実施要項(昭和二九年三月三一日文部大臣裁定昭和三〇年九月一日、同三四年七月一六日、同三六年七月二七日、同三七年四月一日、同三九年四月一日各改正)に基づき、昭和三七年度(一九六二年度)国費外国人留学生として、シンガポール自治州で募集、採用され、昭和三七年四月千葉大学留学生課程に配属されて勉学をはじめた。当時原告は、イギリス国籍を有し、昭和三八年九月マレーシヤ連邦成立後はマレーシヤ国籍の留学生であつたものである(昭和四〇年八月シンガポール州が同連邦から分離独立後はシンガポール国籍を有している)。
(二) ところで、右実施要項第九によれば「文部大臣は、所定の申請書により、国費外国人留学生に対して国費外国人留学生として必要と認められる条件について誓約させる。国費外国人留学生が前項の規定する条件等に違反した場合には、給与の打切りその他必要な処置を講ずることがある。」と定められ、原告は一九六二年度の被告の募集に際し、所定の申請書で次のとおり誓約し、千葉大学において学習研究につとめてきた。
その誓約条項というのは
「(イ) わたくしは国費外国人留学生として次の事項を守ることを約束します。
(1) 留学の目的を果すために日本の大学において最善をつくして学習研究を行なうこと。
(2) 日本の社会秩序に違反しないよう行動すること。
(3) 入学する大学もしくはその他のことについて日本政府の決定ならびに入学した大学の学則等に忠実に従うこと。
(4) 日本政府から支給される給与を超えて必要とする経費については、自己負担とし、給与の増額は要求しないこと。
(5) 日本において債務を負つた際は、自己の責任において弁済すること。
(ロ) 上記の事項に違反した場合、または日本政府により成業の見込みがないと判断された場合において、国費留学生としての身分を打ち切られ、また帰国を命ぜられても不服を申し立てることなくこれに従います」。
というものである。
(三) ところが、被告は、原告が千葉大学留学生部(留学生課程)第三年次に在学中、昭和三九年九月四日付、三九調留第五号をもつて「原告の国費外国人留学生の身分は打切りましたので通知します。これは貴マレーシヤ国政府の要請にかんがみ、あなたの留学生目的が達せられないと認め措置したものです。」との留学生身分剥奪の処分をなし、原告は同月九日この処分の通知を受けた。
(四) しかしながら本件身分打切処分は違法であるから、取消しを求めるものである。<以下省略>
理由
第一被告文部大臣に対する請求について
一原告が、文部大臣裁定(昭和二九年三月三一日。その後数次の改正がある。)「国費外国人留学生制度実施要綱」に基づく募集に応じ、シンガポール自治州からの昭和三七年度国費外国人留学生として被告により採用され、昭和三七年四月から千葉大学留学生課程に配属されて勉学に従事したこと、原告は右採用の当時シンガポール自治州の市民でイギリス国籍を有していたが、昭和三八年九月マレーシヤ連邦成立後はマレーシヤ国籍の留学生であり、昭和四〇年八月シンガポールが分離独立した後はシンガポール国籍を有して現在にいたつていること、被告は、原告が千葉大学留学生部(留学生課程廃止後これに代るもの)第三年次に在学中、原告に対し、昭和三九年九月四日付で、原告の国費外国人留学生身分打切の処分をなし、原告は同月九日この処分の通知を受けたことは、当事者間に争いがない。
二被告は本件身分打切処分は抗告訴訟の対象となる行政処分に当らないと主張するが、それにはまず国費外国人留学生の身分ないし法的地位をどのように解するか、従つてこれを打切る行為が公権力の行使たる行政処分に当るかどうかを検討することが必要である。
ところで、この点について、原告は、昭和三七年度採用にかかる国費外国人留学生である原告は、東南アジア、中近東諸国からの一般の国費外国人留学生と全く同じ身分ないし地位を有すると主張するのに対して、被告は、シンガポール自治州からの国費外国人留学生の身分については、日本とシンガポール自治州の両政府間の特別の合意がその前提ないし基礎となつているため、他の諸国からのそれと異る特殊性があると主張する。ところで、原告を含むシンガポール自治州からの国費外国人留学生の受入れについて、他の諸国からのそれと同様、前記文部大臣裁定「国費外国人留学生制度実施要綱」による国費外国人留学生の受入制度を適用ないし利用していることは、被告もこれを認めているので、被告のいう国費外国人留学生の受入制度の利用ということが、その制度の外形だけを形式的に利用するにとどまるものであると仮定しても、本件身分打切処分が抗告訴訟の対象となるかどうかの問題は、結局、右の文部大臣裁定の実施要綱に基づく国費外国人留学生の受入制度のもとにおける留学生の採用、在学関係とその身分打切りがどのような法的意味ないし効果をもつものであるかを明らかにすることによつて解決されるものといわなければならない。
よつて、以下この点について考察する。
三そこで国費外国人留学生の受入れ制度とその実施について考察し、本件身分打切処分が抗告訴訟の対象となるかどうかを検討する。
(一) 政府は、わが国と諸外国との国際文化交流をはかり、その友好親善を促進し、あわせて、とくに東南アジア、中近東諸国を重点とし、その社会的・経済的発展に寄与する人材養成に協力する目的をもつて、昭和二九年以降前記文部大臣裁定「国費外国人留学生制度実施要綱」に基づいて国費外国人留学生の受入制度を実施し、国費により外国人留学生を招致して、わが国の大学または大学付置研究所等において教育あるいは研究指導を受けさせてきている。これには、学部留学生と研究留学生の二種類があるが、このうち学部留学生は、外国において一二年の学校教育を修了したもの、または、これと同等以上の学力を有するもので、わが国の大学において一年間の予備教育(日本語教育)と四年間の大学教育(医、歯学専攻は六年、商船専攻は四年半)を受けるものであつて、東南アジア、中近東諸国のみを対象として、これら諸国の人材養成に協力しようとして世界にさきがけてわが国が実施した独自の制度である。他方研究留学生は、外国において大学を卒業したもの、または、これと同等以上の学力を有するもので、わが国の大学において二年間の専門的研究の指導を受けるものであり、学部留学生のようにその対象を限ることなく、広く欧米諸国からも受入れている。各国留学生の受入れ数は、文部大臣が、わが国とそれぞれの国の外交関係、それぞれの国からの要請、従来からの応募実績と質、文化協定締結状況との関連、各種技術援助計画による援助状況との関連、わが国からの留学生招致数等所定の要件を勘案して、外務大臣と協議して決定する。文部省は、右国別割当に基づき、外務省を通じて在外日本公館に募集を依頼する。在外日本公館は任国政府の協力のもとに募集するか、あるいは、当該国政府自体において募集してもらう。
選考は、在外日本公館が応募者の中から任国政府協力の下に実施する選考試験の結果に基づき選考し、あるいは、当該国政府自体が選考したそれらの結果を、在外日本公館か外務省を通じ外務省に推薦する(第一次選考)。次に文部大臣はこの推薦された候補者について、文部省に設けられた外国人留学生問題協議会の議に付して選考し(第二次選考)、その選考結果を勘案してその採用につき最終決定を行なう。
留学生の主な待遇としては、これらの留学生には、渡日、帰国旅費、渡日一時金(一人一万円)、奨学金(月三万円)、研究旅費(年額二万五千円、ただし学部留学生は最終年次生のみ)等が支給される。さらに、原告のような千葉大学留学生部(留学生課程)に在学する学部留学生のため、同大学に特設宿舎たる学寮が付置される。
なお学部留学生に対する大学の教育補導についていうと、日本語および一般教育が、文科系志望の学部留学生に対しては東京外国語大学の留学生課程において、理科系志望の学部留学生に対しては千葉大学留学生部(留学生課程)において、それぞれ、原則として三年の教育期間を設けて行なわれる。右日本語教育及び一般教育を終了した者についての専門教育は、文部大臣が留学生の志望専攻、学業成績等を勘案して配置した大学において、行なう。
国費外国人留学生制度の概要が、以上のとおりであることについては、当事者間に争いがない。
(二) 次に、右制度実施上の細目について調べてみると、<証拠>によれば、次のように認めることができる。
1 「国費外国人留学生制度実施要綱」は前記の経済的利益供与のほか、国費外国人留学生の国立大学における検定科、入学料、授業料を徴収しないと定めている。
2 「国費外国人留学生制度実施要綱」に基づいて、外国において留学生の募集が行なわれる場合には、「日本政府招致国費外国人留学生募集要項(学部留学生)」(以下単に「募集要項」という。)が頒布されるので、応募者は所定の日本政府あての申請書を付属書類とともに、在外日本公館に提出し、選考、推薦を受けることになる。
しかし、原告を含む昭和三七年度国費外国人留学生のシンガポール自治州における募集については、シンガポール政府教育省が、在シンガポール日本総領事館から委任を受けて、右募集要項による応募事務一切を担当し、応募者八三名中一六名を適格候補者と定めて、公務員委員会に報告し、同委員会は特別選考委員会を設けて原告を含む七名を最終候補として推薦する旨被推薦者の申請書その他の書類をそえて、在シンガポール日本総領事館に通知し、同総領事館は外務大臣を経由して被告文部大臣に右七名の候補者を推薦したものである。なお、原告は、造船工学の専攻を希望する留学生として応募し、昭和三七年一月一一日付の日本政府あての申請書を作成してシンガポール政府教育省に提出したが、その申請書は同政府から在シンガポール日本総領事館を経由して、文部大臣に送付されたものである(これに対して、文部省においては、昭和三七年三月二二日調査局長裁決をへて原告ら四名の採用が決定されたことは、弁論の全趣旨により認められる。)。
3 国費外国人留学生の大学への配置については、前記「国費外国人留学生制度実施要綱」によると、国費外国人留学生を入学又は入所させる大学又は大学付置研究所等は、文部大臣があらかじめ当該大学長又は所長等と協議して決定すると定められているが、前記募集要項においても次のように定められている。
すなわち、日本政府は、留学生の専攻分野により、前期教育三年(留学生課程)、後期教育二年(専門課程)についてそれぞれ入学すべき大学を指定し、正規の学生として当該大学に入学させる。この指定に対する異議は認めない。そして前期(留学生課程)については、すでに説示したように、原則として最初の三年間、東京外国語大学(文科系専攻志望)、または千葉大学(理科系専攻志望)の各留学生課程に入学させる。留学生課程の三箇年のうち、第三年次は日本の大学教育の第二年次に相当する。留学生課程には原則として三年以上在学し、所定の課程を修了した者は、大学の専門課程(後期)に入学させる。
また右募集要項によると、留学生課程在学中における専門学科の変更は原則として認めない。ただし、自国政府の要請があり、かつ、在学する大学が適当と認めた場合には、日本政府が当該留学生の適性その他を考慮の上、その変更を認めることがある、とされ、専門課程進学後の専攻学科の変更を認めないとされている。
4 千葉大学留学生課程規程又は千葉大学留学生部規程(同大学学則第五三条の三による。)には、国費外国人留学生の入学、在学および進学関係について次のように定めてある。千葉大学の留学生課程(昭和三九年四月一日廃止後は留学生部、以下同じ。)に入学させる学生は原則として東南アジア、中近東諸国からの国費外国人留学生とする。ただし、欠員があるときは、私費外国人留学生を入学させることがある(留学生課程規程および留学生部規程の各第二条)。留学生課程の入学志願者に対しては、選考のうえ入学を許可する。ただし、国費外国人留学生については、学長が文部大臣と協議して定める(第七条、留学生部規程では第六条)。留学生課程を修了した者は本学または他の大学学部の第三年次に編入学を志願することができる。国費外国人留学生の編入学すべき大学については、学長が文部大臣と協議して定める(第一八条、留学生部規程では第一七条)。外国人留学生は検定料、入学料、授業料を納入しなければならないが、国費外国人留学生からはこれを徴収しない(第二七条、留学生部規程では第二六条)。
5 国費外国人留学生制度実施要綱によると、「文部大臣は所定の申請書により、国費外国人留学生に対して、国費外国人留学生として必要と認められる条件について誓約させる。国費外国人留学生が右条件等に違反した場合には給与の打切り、その他必要な処置を講ずることがある。」と定められ、また募集要項にも、注意事項として、申請書類に虚偽の記載をし、誓約事項に違反し、または成業の見込みがないと日本政府が判断した場合は留学中であつても、留学生としての身分を取消すことがある、と表示されている。
原告は昭和三七年一月一一日付文部大臣あての誓約書を作成して申請書等とともに文部大臣に提出したが、その誓約書の方式は一様のものであつて、次のような事項が記載されている(誓約条項の内容については当事者間に争いがない)。
「1 わたくしは、国費外国人留学生として、次の事項を守ることを約束します。
(1) 留学の目的を果たすために、最善をつくして、日本の大学において学習研究を行なうこと
(2) 日本の社会秩序に違反しないよう行動すること
(3) 入学する大学もしくはその他のことについて、日本政府の決定ならびに入学した大学の学則等に忠実に従うこと
(4) 日本政府から支給される給与を超えて必要とする経費については、自己負担とし、給与の増額は要求しないこと
(5) 日本において債務を負つた際は、自己の責任において弁済すること
2 上記の事項に違反した場合、または日本政府により成業の見込みがないと判断された場合において、国費留学生としての身分を打ち切られ、また帰国を命ぜられても、不服を申立てることなくこれに従います。」なおその末尾には「下記の者が日本政府国費外国人留学生として学習研究を行なうことに同意し、上記のことを守らせることを保証します。」との保証人の保証文書の記載がある。
(三) 以上の諸事実によると、原告は昭和三七年三月二二日付で自然科学系学科を専攻する国費外国人留学生(学部留学生)として被告文部大臣に採用されたが、それは被告が提示する一定の条件に服する旨の原告の承諾のもとになされたものであつて、シンガポール自治州とは独立した人格者である原告の意思の存在を前提としていることが明らかである。そして、原告の同意に基づく被告の国費外国人留学生の採用行為によつて、わが国の政府は、国費外国人留学生たる原告に対して、募集要項に基づき日本の国立又は公私立の大学において教育を受けさせる義務を負い、国費外国人留学生(原告)は誓約条項を遵守して留学目的を果すために最善をつくして学習研究を行なう義務を負い、留学生に誓約条項等の違反があれば、わが国政府は何時にても留学生たる身分を取消し得るという法律関係が成立するものと解することができる。更にわが国政府の募集要項に基づく義務は具体的には次のようにして実現される。すなわち、
(1) 原告に対し、渡日費用、留学期間中の毎月の奨学金等を支給する。国立大学における入学料、授業料、検定料を徴収しない。千葉大学留学生課程に付置される特設宿舎の使用資格を与える。
(2) 原告を千葉大学留学生課程に入学させる(なお、原告は文部大臣と千葉大学学長との協議によつて、昭和三七年四月同大学留学生課程への入学を許可された。)。
(3) 千葉大学留学生課程(留学生部)における前期教育三年を修了して後期教育の専門課程たる国立又は公私立の大学の学部に進学するには文部大臣と受入れ先の大学の学長との協議が必要である。
(4) 千葉大学留学生課程に配属された後においても、同課程は原則として国費外国人留学生の前期教育のために特別に設けられた教育施設であるから、国費外国人留学生たる資格を失うことは(当然に学生たる身分の消滅をきたすものではないが)、私費留学生として別途に入学または編入学を志願して大学当局より許可を受けない限り、同大学における在学関係の解除原因となるものと解せられる(なお、<証拠>により認められるように、原告は昭和三九年一二月一七日千葉大学学長によつて除籍処分を受けている)。そして、国費外国人留学生の資格を奪われた場合に、私費留学生として入学許可を受けられることについては、何らの法的保障はないのである。
原告と被告ないしわが国との法律関係は、以上のような内容のものであるが、わが国政府の経済的負担についての右(1)の義務ないし法律関係は、実質的には、民間基金による外国人留学生への奨学金制度によつても実現できるのであつて、その点では両制度の間に質的な相違はないといいうる。しかし、右(2)ないし(4)の留学生が国立大学で教育を受ける関係は、これと異り、公の施設の利用について管理権を有するものの行為をまつて実現できることがらであり、しかも文部大臣は千葉大学留学生課程(留学生部)における留学生の在学関係を間接に管理するものであり、また留学生が同課程(部)を終了して専門課程の国立大学に進学するには、さらに文部大臣との協議による当該大学の学長の入学許可を必要とするのであつて、その限りにおいて、国費外国人留学生の全教育課程は、わが国政府(文部大臣)の留学生に対する優越的意思による関与のもとに成り立つものということができる。
このような意味において、原告のような自然科学系学科を専攻する者についていうと、国費外国人留学生たる身分ないし地位は、千葉大学留学生課程(留学生部)への入学資格であり、またその喪失が同大学における既存の在学関係の解除原因をなしているのみならず、専門課程の国立大学への進学のため不可欠の要件をもなしているのであつて、千葉大学留学生課程(留学生部)第三年次在学中の原告に対する被告文部大臣の身分打切処分は、国立大学における一般学生の除籍ないし退学処分と類似する法的性格をもつものであり、公権力の行使にあたる行為として抗告訴訟の対象となるものと解すべきである。
四次に本件身分打切りの処分の取消を求める訴の利益の有無について考察する。前記のとおり、原告は昭和三七年三月二二日付で国費外国人留学生として採用されたものであるが、<証拠>によれば募集要項及び実施要綱を適用すると、原告の留学期間は昭和三七年四月から五年間であり、文部大臣が特別の事情があると認めた場合に必要な期間を延長することができるものとなつている。従つて昭和三七年四月から五年の留学期間を経過したときは、特別の事情に基づく文部大臣の期間延長の行為がないかぎり、国費外国人留学生たる身分はなくなるものと解するのが相当である。この点について原告の主張する事由は、原告が国費外国人留学生としての身分を現有することの法的根拠となるものということはできない。
しかし、本件身分打切り処分によつて原告が国費外国人留学生たる地位に伴い有する毎月の奨学金その点の請求権の回復を図るためには、本件処分の取消を求めなければならないのであるから、原告は本件身分打切り処分の取消を求める訴の利益を有するものというべきである。
五続いて、本件身分打切処分の適否について検討する。
まず、本件処分の経過、ことに被告文部大臣に対するマレーシヤ国政府の要請との関連について争いがあるので、この点について判断する。
<証拠>を総合すれば、(一)シンガポール政府は昭和三九年八月五日付書面をもつて在シンガポール日本総領事館上田総領事に対して、原告が同年七、八月頃在日マラヤ学生協会の指導者として、東京で反マレーシヤ活動を行なつているので、同政府としてはその推薦によつて送られた国費外国人留学生のかかる行動を黙許することができないという理由で、日本政府が原告の有する国費外国人留学生としての身分を打切り帰国させるよう要請し、かつ、シンガポール政府機関である人事委員会より原告あての書面(造船工学を専攻するため昭和三七年度に原告に与えられた日本政府奨学金をシンガポール政府が破棄した旨を知らせる旨、また、それは原告が昭和三八年度の委員長であり現在副委員長である在日マラヤ学生会の反マレーシヤ、反国家活動に原告が参加したためである旨の記載がある。)を原告に手交されたい旨の依頼をしてきたので、上田総領事は同年八月六日付でこれを文部大臣に報告したこと、(二)同年八月二六日在日マレーシヤ大使館は、わが国の外務省に対して口上書をもつて、ほぼ右と同趣旨の要請をし、かつ、原告に与えられた日本政府の国費外国人留学生の奨学金を打切ること並びに原告に対して直ちに帰国方を要求することが本国政府当局において決定されたことを確認するとともに、日本側関係当局が原告の早期帰国の実現方協力を要請してきたので、外務省は文部省(調査局長)にこれを通報するとともに、シンガポール政府の要請に応ずるために、原告の留学生身分打切について早急の措置をとるよう依頼したこと、(三)被告文部大臣は同年九月九日に、同月四日付三九調留第五号通知書(文部省調査局留学生課長名義)で、原告に対して、昭和三九年九月四日付であなたの国費外国人留学生の身分を打切りましたので通知します。これは貴マレーシヤ国政府からの要請にかんがみあなたの留学目的が達せられないと認め措置したものです。」との通知をしたことを認めることができる。<反証排斥>
右のように、本件身分打切処分は、原告の出身国であつたマレーシヤ国政府の要請によつてなされたものであるが、かかる処分の適否について、原告は、昭和三七年度採用の国費外国人留学生としての原告の身分は、東南アジア、中近東諸国からの国費外国人留学生のそれと異なるところはなく、したがつて被告の本件処分事由にあるように、出身国の政府の要請によつて留学生の身分を打切るがごとき処分は、違法であると主張するのに対し、被告は、シンガポール自治州からの国費外国人留学生の受入れ制度及び留学生の身分には、他の諸国にみられない特殊性があるので、同州の要請によつてなした本件処分は適法であると主張する。そこで、判断の便宜上、先ず原告の身分が東南アジア諸国からのいわば一般の国費外国人留学生のそれと異ならないとした場合に、本件の身分打切事由のような事由による処分が適法であるかどうかを考察し、ついで被告主張の制度の特殊性の有無を判断し、その特殊性が右の一般的な国費外国人留学生受入れ制度やそのもとにおける留学生の身分関係にどのような影響を及ぼすかについて考察を進めることにする。
(一) 一般の国費外国人留学生に対して本件処分事由と同一の事由をもつて身分打切りがなされた場合の打切処分の適否について
さて、原告主張のように、原告が東南アジア諸国からの一般の国費外国人留学生と異ならない身分を有すると仮定した場合には、その採用によつて、原告とわが国との間には、前に認定したような一種の継続的な法律関係が生ずる。すなわち、再言すれば、わが国政府は、原告に対して、昭和三七年四月から昭和四二年三月までの留学期間、日本政府招致国費外国人留学生募集要項(学部留学生)の規定するところに基づき、わが国の大学において教育を受けさせる義務を負い、国費外国人留学生たる原告は、わが国政府に対し、誓約条項(その内容は前記のとおり)を遵守して留学目的を果すために最善をつくして学習研究を行なう義務を負うものであり、また留学生が誓約条項に違反し、または成業の見込みがないと日本政府が判断した場合は、留学期間中であつても留学生としての身分を取消すことがあるとされている。ところで、この身分取消事由を限定列挙事由とみるか、または例示的事由とみるかは、諸外国政府の国内開発の施策、募集協力、推薦等が、留学生の受入れを実現する諸要因として、実際上介在しているので、結局、国費外国人留学生招致制度のもとにおけるわが国と留学生との間の法律関係の意味、内容をどのように解するかによつて、結論を異にするであろう。
国費外国人留学生招致制度は、わが国と諸外国との国際文化交流をはかり、その友好親善を促進することを目的とするが、そのうち学部留学生招致制度は、特に大学数の少ない東南アジア、中近東諸国の、社会的経済的発展に寄与する人材の養成、すなわち国づくりの指導者養成に積極的に協力する目的をもつて、わが国が世界にさきがけて実施してきた独自の制度であることは、前に説示したとおりであり、これら諸国の国家的要請に応じて教育協力をするものであつて、その意味では留学生個人に恩恵を与えることを目的とするものではないということができる。しかし、海外先進諸国が熱意をもつて他国の留学生を招致しつつある国際環境のもとにおいて、概して若い世代の、感受性と吸収力の強い優秀な学徒を、わが国に招致して、彼らがわが国の人たちと同じ環境の中で、わが国の専門家のもとで、わが国の教育を受けて、直接学習、研究をするということも留学生制度の重要な目的であるから、その目的を達成するためには、留学生個人の意思と人格を尊重し、相互の信頼を基礎として、その個人的成果を期待するという個人的・倫理的要素も必要不可欠であつて、わが国の政府が、政府間の合意という法形式によらずに、外国政府の協力のもとにできるだけ広く人材を求めるため、募集要項によつて直接外国の学徒に対し個人的に呼びかけ、その個人の資格による自主的な同意を前提として留学生として採用するという法形式をとつているのは、単なる形式的便宜や技術的考慮によるものではなく右の実質的要請によるものと解せられる。そして、前認定のとおり、留学生として採用されるに先だち提出される誓約書には、「留学の目的を果すために、最善をつくして、日本の大学において学習研究を行なうこと」その他の誓約条項のほか、「日本政府により成業の見込みがないと判断された場合……国費留学生としての身分を打切られても……不服を申立てることなくこれに従う」などのように、包括的条項が定められていて、これらの誓約条項は、例示的ではなく、むしろ限定的なものと推定されるのである。これらの意味において、身分取消に関する誓約条項は、国費外国人留学生のわが国政府に対する勉学上の義務ないし責任(身分打切りなどの不利益を生ずべき可能性)の範囲を明確にし、その反面として、わが国政府が身分打切事由を特定の事由に限定し、それ以外の事由によつてはみだりに身分の打切りをしないという、いわば身分剥奪権行使の自己制約によつて、留学生をして留学期間中安んじて学習研究に従事させるとともに、その成果を挙げさせようとする趣旨に出たものと解するのが相当である。
このように考えると、わが国は、たとえ恩恵ないし利益を与えることを内容とするものであつても、一たん国費外国人留学生として採用した以上は、自らも右のような誓約条項の趣旨に拘束されるものであつて、前記誓約条項の違反や募集要項の定める打切り事由以外の事由によつてみだりに留学生の身分を打切ることは許されず、または国交の断絶、出身国の他国への併合などの事情の変更や留学生の身分を維持することがそれ自体留学生制度の本旨に反するなどの特段の事情がない限り、右法律関係を解消することはできないものというべきである(その反面として、国費外国人留学生は、誓約条項に違反することがなく、また成業の見込がないと判断されることがない限り、留学期間中は、毎月定額の奨学金の給付請求権を有し、授業料を徴収されず、その他の特典を享受することになる。)。
そこで、右のような一般の国費外国人留学生について、その身分を本件と同じ処分事由により打切つた場合、その打切り処分の適否について検討してみると、当該留学生を推薦した外国政府から正式にわが国政府に対して当該留学生の身分打切りと帰国の要請があつたからといつて、そのようなことは、誓約条項の違反に当たるものではなく、また成業の見込がない場合に当るものと解することもできない。すなわち、誓約書にある誓約条項は留学生個人の生活圏内において自己の意思によつて支配できる事項を指すものであることは、事柄の性質からみても、また文理上も明らかであるのみならず、さらに誓約書の末尾に保証人が、「上記のことを守らせることを保証」していることからみても明らかであり、また募集要項にいう成業の見込があるかどうかも、留学生個人の意思ないし勉学の努力いかんに左右される事柄である。さらに、国費外国人留学生の招致制度は、国内開発のための指導者養成という諸外国政府の国家的要請に応じて、わが国が教育協力をするため設けられたものではあるが、そうであるからといつて、当該外国政府からなされた留学生の身分打切りの要請は、条約上の要請権がある場合とは異なり、その要請に反する法律状態の存続を否定する効力を有する道理はないのみならず、わが国政府がこの要請を契機として、当該留学生の身分を当然に取引消しうるものと解すべき法理上の根拠はない。もし、当該外国政府の要請があれば、理由のいかんを問わないで、わが国政府が留学生の身分を取消しうべきものとするならば、留学生がそれまでの学習によつて得た成果は全く無駄なものとなり、他面留学生らは自己の意思の及びようのない自国政府の要請を常に念頭において不安のうちに勉学に従事しなければならなくなるのであつて、右のような解釈は、留学生個人の意思と人格を尊重し、個人の同意を前提として留学生として採用するということを基礎として成り立つている国費外国人留学生招致制度を根底からくつがえすものとして、とうてい許されないものというべきである。
このことは、国費留学生が自国政府の推薦によつてわが国政府によつて採用された場合においても、同様に帰すべきである。
したがつて、一般の国費外国人留学生に対して、本件処分事由と同様、自国政府の身分打切りの要請があつた場合に、わが国政府が右の要請があつたことを処分事由として、当該国費留学生の身分を取消すことは違法であるといわなければならない。
(二) シンガポール自治州ないしマレーシヤ連邦からの国費外国人留学生受入れ制度の特殊性について
<証拠>を総合すれば、次のように認められる。
(1) 昭和三四年六月一日英領シンガポール州が自治州となり、民選の政府が成立したが、同州政府は国内開発のための技術要員の養成計画をたて、各国に対しその援助を要請し、その一環として、わが国に対しも、コロンボ計画による技術援助を要請し、わが国も同計画による研修制度をもつてこれに応じてきた。
(2) ところでわが国のシンガポール政府に対する技術協力案件は昭和三五年以降飛躍的に増大し、特に昭和三六年になつてからは、高度の資格を取得しうる研修課程の要請が増加した。たとえば、工業関係技術者は政府部内で昇任の際、英国の制度を基準とした一定の資格が必要とされており、また英国人が帰国したあとのポストを補充するための現地人を昇任せしめる場合もこの資格が問題となる。したがつて、シンガポール政府部内で最も要求されている研修部門は資格(学位、大学卒業者)のとれる研修制度であり、オーストラリヤ、ニュージーランド等がコロンボ計画によりわが国の国費外国人留学生制度と同様長期にわたる研修制度を提供している関係から、在シンガポール日本総領事館に対しても同様の研修課程の要請が多くなり、コロンボ計画による研修制度では、他の東南アジア諸国と異なりシンガポール政府を十分満足せしめないのではないかと懸念されるにいたつた。
(3) すなわち、昭和三六年三、四月頃になつて、シンガポール政府は、在シンガポール日本総領事館を通じて、わが国政府に対し、機械工学、化学工学、漁業技術、舶船工学、造船学、電気工学、テレビジョン工学等七種類にわたり、期間三年ないし八年でわが国の大学の学位を取得しうる研修コースの要請をしてきた。総領事館としては、これに対し、(イ)コロンボ計画による研修の趣旨上学位を授与できる課程は供与できないこと、(ロ)学位取得を希望する場合はむしろ国費外国人留学生の制度によるべきであること、(ハ)学位を必要としない研修の場合にはコロンボ計画により三カ年の期間で一〇名受入れる用意がある旨回答し、同時にわが国政府にも報告した。その後シンガポール州からの国費外国人留学生受入れの案件について、わが国総領事館側は斎藤貞雄領事が担当者となり、シンガポール政府の財務省及び教育省の担当者と折衝を行なつたが、この折衝の間に、わが国の文部大臣と外務大臣とを代表して、総領事の指揮下にある斎藤領事が、「国費外国人留学生制度を利用して、シンガポール政府の人材養成計画に基づく留学生を受入れる」ことを提案し、シンガポール州政府もこれを歓迎してその旨の要請をしたので、斎藤領事がこれを承諾し、ここに両者の合意が成立した。その際、国費外国人留学生の採用については日本政府に最終決定権があるが、募集業務は日本政府の募集要項その他所要資料を受けてシンガポール政府がその一切を取扱うこととし、候補者選考のための特別委員会を組織して面接試験を行なつた上(日本側の領事は選考内容に関与せず、単にオブザーバーとして立会う。)、最終候補者を決定して日本側総領事館に推薦をかねて通報するが、日本政府はシンガポール州政府の推薦順位を尊重して決定することなどを申し合せた。そしてこの合意成立の日時は、不詳であるが、口頭でなされ、公文や覚書は取りかわされなかつた。
(4) 原告を含む昭和三七年度国費外国人留学生(学部留学生)のシンガポール州における募集については、シンガポール政府教育省が、在シンガポール日本総領事館からの委任を受けて、前記募集要項による募集事務一切を担当し、昭和三七年一月一五日までの応募者中の適格者八三名から一七名を選考して、これを公務員委員会に報告し公務員委員会では特別選考委員会を設けて原告を含む七名を最終候補として決定し、これを推薦する旨在シンガポール総領事館に通知するとともに、被推薦者の日本政府に対する申請書、誓約書その他必要書類を送付し、同総領事館は、同年二月二日、これを外務大臣を経由して被告文部大臣に報告し、採用決定を求めた。
なお、原告は、造船工学の専攻を希望する留学生として応募し、昭和三七年一月一一日付の日本政府あての申請書及び被告文部大臣あての誓約書を作成して、シンガポール政府教育省に提出したが、その申請書、誓約書は、同政府から日本総領事館を経由して被告文部大臣に送付された。
(5) 被告文部大臣は、制度要綱に基づき、同年三月一六日文部省外国人留学生問題協議会選考分科会において最終選考を行なわせ、原告らを含む四名が選考されたので同月二二日文部省調査局長の決裁を経て、原告ら四名の採用が決定された(この項は、本件口頭弁論の全趣旨によつてこれを認定する。)。
(6) シンガポール政府は、その頃右の決定通知を受けたので、原告に、留学生に関する詳細な誓約事項を定めた同意書を同年四月五日付で作成提出させ、原告は同意書記載事項を誓約したので、同年四月下旬原告を渡日させた。この同意書によると、原告は誓約事項を遵守して勉学し、推薦された課程を終了して帰国後五年間政府の指定する職に勤務する義務を負い、また所定の場合には支給を受けた奨学金の償還、損害賠償の義務を負うことになつている。他方シンガポール政府は、わが国政府が留学生に支給する奨学金の授与は、シンガポール政府を援助しようとする日本国政府の計画により、シンガポール政府が自国の学生をわが国における勉学コースに推薦することによつて、シンガポール政府が独自に行なうものであると解し、この解釈のもとに、同政府が自国留学生に一定の手当を支給することになるものである旨を表明するとともに、一カ月の期間をおいて、留学生と同政府間の法律関係を解消する権限を留保している。国費外国人留学生の受入れについて、シンガポール政府では、留学生の採用決定通知を受けたものであつても、右の同意書を同政府に提出しないと所定期限までの渡日を許さなかつたので、留学生の推薦について同政府側で一定の条件を付していたことになる。しかし、このような同意書を同政府に提出した応募者ないし被推薦者だけを採用の対象にするというような積極的な申し合せは、日本政府との間において全くなかつた。しかし在シンガポール日本総領事館としては、特に、同意書の内容を記録にとどめるようなこともせず、ただ、国費外国人留学生が将来研修を終えて帰国後一定期間開発計画のなかで働くことができることは、職場が保証され将来幹部職員になるという観点からも、またコロンボ計画などの技術援助計画の条件と考え合せてみても、ふさわしいものであるという程度に了解していた。
(7) その後、シンガポール州からの国費外国人留学生の受入れは、右の両政府間の合意に基づいて行なわれ、同州政府、マレーシヤ連邦シンガポール政府等の政府機関(昭和三七年までは財務省、教育省、昭和三八年以降は公務員委員会)は、わが国政府の依頼により募集事務一切を取扱い、自国の開発計画に合わせた要員を選考し推薦することによつて実施されてきたのであつて昭和三八年度は六名の留学生が推薦されて来日し、昭和三九年度からはマレーシヤ連邦として一括して推薦されてきたのである。
また日本政府は、留学生の割当て数をシンガポール政府に通報するだけで自ら募集事務を行なわず、シンガポール政府の選考に委せてきたのが実情である。
以上認定の事実によると、シンガポール州からの国費外国人留学生(学部留学生)の受け入れは、要するに、シンガポール州政府の要請、すなわち、国内開発計画のもとに、高度の資格を取得しうる工業技術分野における研修課程の提供という強い要請に基づくものである点で、他の東南アジア諸国にみられない特殊性があり、また、その要請を実現する方法として、その法的効力の点はしばらくおき、日本政府が右要請を受け入れる旨のシンガポール政府との合意が成立し、じらい現在まで同州からの学部留学生は、応募の窓口となつているシンガポール政府の募集業務、選考手続を経て、同政府の日本政府に対する推薦を経るという手続のもとに採用されてきたものであること、被採用者は渡日前に同政府との間に同意書による契約を取りかわし、この契約締結を拒否した者は渡日できないこととなつている点に、特殊性があるということができる。
ところで、被告は、シンガポール政府と日本政府間の右合意成立の時期は昭和三四年夏から秋にわたつて行なわれた折衝期間中であると主張する。
しかし<証拠>を総合すると、シンガポール州からの国費外国人留学生の受入れについては、昭和三四、三五年度において学部留学生は各一名、昭和三六年度に三名であり、いずれもシンガポール政府の推薦によるものであることが認められ、昭和三四年六月以降にそのような合意がなされたのではないかと考えられないわけではなく、また証人斎藤貞雄もそのように供述するけれども、同人の証言部分は記憶によるもので漫然としているし、むしろ<証拠>によるときは、本格的な交渉が行なわれたのは、むしろ前認定のように、昭和三六年夏頃から秋にかけての時期であつて、その折衝中に両国政府間の合意が成立したと認めるのが相当である。なお昭和三九年一一月頃現在シンガポール総領事館が受領したシンガポール政府からのメモランダム(乙第一三号証の二)によると、同政府は、一九五九年に国費外国人留学生の募集方法が一般大衆に通報する形から、シンガポール政府への通報の形に変えられたことが、奨学金をシンガポール政府に付与するという日本政府の政策の変更の表明であると解しているけれども、それだけでは前記認定をくつがえすに足りない。
次に被告は、両国政府の合意の効力について、国際法上の合意として法的効力を有すると主張するが、右の合意は、抽象的一般的な事項を取りきめたものであつて、前に認定した程度以上に具体性のある取りきめがあつたことを認めうる証拠はない。また右合意の内容ないし解釈についての両国政府の受けとめ方についてみると、<証拠>によると、昭和三七年一月及び二月頃の在シンガポール総領事から外務大臣あて昭和三七年度間国費外国人留学生募集状況中間報告の件によると、右留学生募集については、「シンガポール政府の全面的協力を得て円滑に進捗している」との表現があり、また前認定のとおり同年度の学部留学生の割当ては四名であるのに、シンガポール政府は最終候補者として、順位を付して七名の推薦をよこしてきていることをみると、当時日本政府側において、シンガポール州からの国費外国人留学生の受入れが、具体的に確定された日本側の国際法上の義務であり、またそれに対応する具体的権利がシンガポール政府にあるとまで考えていたとすることについては、疑をいれる余地がないわけではない。これに対して<証拠>によると、シンガポール政府は、本件訴訟提起後の昭和三九年一一月頃メモランダムによつて、日本政府が国費外国人留学生としてシンガポール政府によつて指名された者(被指名者)の最終決定権を持つていることは当然のことと了解しているが、この制限条項にもかかわらず、この留学生制度による奨学金はシンガポール政府の利用に供せられるため同政府に付与あるいは贈与されたものであると了解しており、したがつて同政府は、自由に被指名者の研究分野そのタイプ及び奨学金受給条件を決定できること、また、シンガポール政府と被指名者との契約に基づいていうと、日本政府はシンガポール政府の代理人、すなわち、シンガポール政府により指名された者の研修を好意的に引受けるものであるというように、極めて具体的、かつ、確定的な内容のものと解釈している。このように右の合意についての両国政府の解釈には、かなりの隔たりがあつて、一致しているとはいいがたい。もしそれが具体的にその内容を確定できる国際法上の合意としての効力をもつものとすれば、少なくとも、その合意の有効期間、研修分野の特定並びに年間の留学生割当人員、合意の解除原因、選考権と最終決定権との関係などの基本的事項について具体的に定めておくのが当然といえようが、何らの取りきめはないのであつて、そのような事項の決定ないし調整については、もつぱら両国政府間の友好的な交渉による運営に委されているものとみるのほかなく、むしろ、右合意は、シンガポール州の技術援助の要請に対して、日本政府の国費留学生招致制度の方式を利用することによつて協力し、シンガポール政府の推薦した者に対しては、その順位や研修分野を尊重して、好意的にこれを受入れるという国際間の了解と認めるのが相当である。
(三) 右の特殊性が原告の留学生としての身分に及ぼす影響と本件身分打切事由の適否について
被告は、シンガポール州からの国費外国人留学生の採用によつてわが国と当然留学生との間に生ずる法律関係の特殊性について、概略次のように主張する。
すなわち、シンガポール州からの学部留学生の受入れは、他の諸国からのそれが個人申請に基づくのと異なり、国際法上の拘束力ある両国政府間の合意に基づくものであり、わが国と留学生との法律関係は、両国間の合意による法律関係を前提とし、それより派生したものであつて、シンガポール政府から派遣された者をわが国政府が委託を受けて教育している関係である。換言すれば、わが国政府は、国費留学生に対し、同人がシンガポール政府の推薦を受け、かつ、それが継続していることを条件として、留学生募集要項に基づきわが国の大学において教育を受けさせる義務を負うのであつて、シンガポール政府の推薦が取消され同政府の人材養成計画からはずされると、同政府からの留学生受入れの目的を達成できなくなるので、わが国と留学生との間の法律関係は成立の基礎を失なうこととなり、わが国政府は制度本来の趣旨にのつとり、右の法律関係を解消することができる、というのである。
たしかに、シンガポール州からの学部留学生は、シンガポール政府の推薦を得ないと国費留学生となることができないし、わが国政府からの採用通知を受けても同州政府との間に同意書による誓約をしなければ国費留学生として渡日することができないことは、前認定のとおりであり、このことは、少なくとも、国費留学生に採用されるための事実上の要件をなしているが、州政府の推薦が継続していること、あるいは同国からの派遣関係が存続していることが、わが国と留学生間に成立する法律関係の内容をなし、または、その成立の基礎をなしているかどうかは、結局シンガポール州からの当該留学生とわが国との間の法律関係をどのように解するかによつてきまるものといわなければならない。
ところで、被告の主張する両国政府間の合意(国費外国人留学生受入れ制度を利用して、シンガポール政府の人材養成計画に基づく留学生を受入れる旨の合意)が国際法上の拘束力を有するものでないことは前認定のとおりであるから、わが国と原告との法律関係が、両国政府間の合意による法律関係を前提とし、それより派生したものであると断定することはできない。しかし、右の合意の法律上の性質が国際間の了解である場合においても、そのような了解のあることが、シンガポール州からの学部留学生の受入れの前提条件であり、その受入れにおける特殊性をなしていることを否定することができないのであるから、このような特殊性が、わが国と原告ら留学生との法律関係にどのような影響を与えているかを吟味しなければならない。
前に認定したように、両国政府間の右の合意は、わが国政府がシンガポール州政府の特別の要請に応ずるため、少なくとも他国より優先的に既存の国費外国人留学生招致制度(学部留学生)を適用して、その制度のもとにおいて資格を有する留学生を受入れることを約したものであつて、わが国政府が昭和二九年以降世界にさきがけて実施してきた学部留学生の制度の本質に変改を加えて、これと別個独自の制度を設け、特別の手続や資格を定めて留学生を受入れることを約したものではない。またシンガポール政府に募集業務や選考を大幅にまかせ、その人材養成計画に基づく留学生の受入れを約束し実施しているが、同州からの留学生の受入れはわが国政府が一方的義務ないし債務履行国としての立場において、法的拘束のもとに行なつているのではなく、相手国の強い要請に応じたものであるとはいえ、留学生の割当数の決定権を留保しているわが国政府があくまでも国際的な協力国としての立場において好意的に行なつているものであることは、前認定のとおりである。そして、昭和三七年度におけるシンガポール州からの国費留学生(学部留学生)の募集においても、他の諸国における募集と同様、わが国政府の作成名義の募集要項が留学希望の学徒に個々に提示され、これに対する留学希望者個人の申請書や誓約書が提出されて、わが国政府の採用決定がなされたことも、前認定のとおりである。
してみると、シンガポールからの留学生の受入れに学部留学生の制度を利用するという合意は、募集から選考までの手続に大幅な修正を加え、採用決定においてシンガポール政府の要請を尊重するほかは、特段の事由がない限り、既存の国費外国人留学生招致制度を、内容、形式両面にわたつて、そのまま適用して留学生を受入れることを意味するものということができ、留学生採用決定後の留学生とわが国との間の法律関係は、既存の学部留学生制度の定めるところによつて規律されることを予定していたものと解するのが相当である。
ことに、前述のように、国費外国人留学生招致制度において、個人的倫理的要素が不可欠とされ、この要請をみたすために留学生個人の承諾を前提として採用することをこの制度の基礎においていることにかんがみ、シンガポール州からの留学生を受入れるに際し、このような要素及び採用方式による法律関係の形成を否定しなければならない特別の事由は認められず、またこれを排除するために、両国政府間に国際法上の拘束力ある何らかの合意がなされた事実も認められないのである。まして、原告らシンガポール州からの留学生が、わが国政府に対し、本国政府の推薦の継続ないし派遣関係の存続を国費留学生の身分保持の要件とする旨の明示または黙示の承諾をしたことを認めるに足る証拠もない。
のみならず、被告が主張するように、シンガポール政府の委託を受けてその派遣する留学生を教育するという特殊の制度目的を達成するため、既存の国費留学生招致制度(学部留学生)を利用するということ自体、後者の制度の主要部分に対し形式及び内容の両面にわたつて適切かつ重要な変更を加えて適用するのでなければ、正常にこれを実施することはできないものといわなければならない。けだし、もし一般の国費外国人留学生(学部留学生)を募集するに際し、募集要項に招致条件として「出身国政府の派遣学生であること」という資格を加え、または身分打切りの条件として「出身国政府から日本国政府に対し当該留学生の身分打切りの要請があるとき」という条項を付加した場合、果して人材を広く求めることができるか、留学生の意思及び人格の尊重に差異をきたさないか、または留学生をして留学期間、安心して学習研究に従事させることができるかなどの見地から、かかる条項のない一般の場合と比較検討するならば、このような資格要件や身分打切り条項を追加することはわが国政府が世界にさきがけて実施してきた既存の国費外国人留学生招致制度(学部留学生)の本質的部分に重要な変更を加えるものと解さざるをえないからである。
以上の意味において、わが国の政府は、シンガポール州からの学部留学生の受入れについても、応募者個々人の承諾を前提として留学生として採用するという、他の東南アジア諸国からの一般の国費外国人留学生招致制度におけると全く同じ法形式を用いているといえるのであつて、その点で、留学生個人の承諾を必ずしも必要としない政府間の教育委託協定のような法形式とは全く趣を異にしているものというべきである。したがつて、わが国政府も、シンガポール州からの国費留学生たる原告について他の諸国からの一般の国費外国人留学生の身分打切事由に関して説示したのと全く同じように、誓約条項の違反、成業の見込なき場合以外の事由によつてみだりに留学生の身分を打切ることは許されず、または事情の変更、その他留学生の身分を維持することが、それ自体留学生制度の本旨に反するなどの特段の事情がない限り、当該留学生とわが国との間に成立する法律関係を解消することができないのであつて、これに反する身分打切り処分は違法たるを免れない。
以上述べたとおり、シンガポール州からの学部留学生である原告とわが国との間の法律関係については、被告の主張するような特殊性は認められないから、これを前提とする被告の右の主張は失当というべきである。結局、原告とわが国との間の法律関係は、募集、選考、採用決定後における自国政府との間の同意書の取りかわし、渡日の制限などの点で他の諸国と異なる事情があるけれども、他の諸国からの国費外国人留学生(学部留学生)とわが国との間に成立する法律関係と異ならないものというべきである。
そして、被告文部大臣が、原出に対し、その出身国政府の要請により、原告の留学目的が達せられないとの理由でなした本件身打切処分は、前認定の特殊の事情を考慮に入れてもなお、誓約条項違反、成業の見込なき場合、事情の変更等原告とわが国との間の法律関係を解消しうべき前記諸事由のいずれにも該当しない事由によつてなされたものというべきであるから、違法であつて取消しを免れず、原告の請求は理由があるものというべきである。
もつとも、前認定の事実から、シンガポール政府のわが国政府に対する原告の身分打切りについての要請が極めて強いものであつたことがうかがわれ、またわが国政府の関係諸機関、ことに外務省、文部省、法務省等においても右の要請をいれて原告の身分を打切ることがシンガポール州からの国費外国人留学生招致制度の本旨に合致し、両国の外交関係に寄与するゆえんであるとの見解であつたものと推認し得るし、シンガポール政府の要請を入れなければ、両国の外交関係に影響を及ぼすであろうことは容易に推測できることである。
しかし、シンガポール州からの国費外国人留学生(学部留学生)の制度及びその留学生の身分を前記説示のように解するときは、シンガポール政府からの外交上の要請があるからといつてみだりに原告の国費留学生たる身分を剥奪することは許されないし、また原告の国費留学生たる身分を継続させることが前記の意味における留学生招致制度の本旨に反し、又は、わが国とマレーシヤ国(シンガポール州)との間の国交に重大な影響を生じ、かつ右制度を維持することが無意味となるごとき特段の事情が存在することについては、これを認めるに足る証拠もないのであるから、本件身分打切りを適法とする被告の主張は、結局、排斥を免れない。
第二被告国に対する請求について
本件のような国に対する予備的請求の併合は適法と解すべきであるが(なお、最高裁判所昭和三三年(オ)第一〇七八号昭和三七年二月二二日第一小法廷判決、最民集一六巻二号三七五頁参照)、右のとおり第一次的請求が理由があるので、予備的請求についての判断を加える余地はない。
右の次第であつて、被告文部大臣に対する原告の本訴請求は正当としてこれを認容すべきものとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。
(緒方節郎 小木曾競 山下薫)